自分自身さえも嫌いな そんな自分を
どうして他人が 好きになる?
自分自身は、好きですか?

「夢」ってのは、 自分で捨てない限り、
夢の方から逃げてくことなんて、無いんだよ。

「今迄何をしてきたか」より、
「これから何をするのか」の方が大切だと思う。

ヲトコ ニ 生マレルノデハ、ナイ。
ヲトコ ニハ [成ル]ノダ。

「俺は別にお前のために付き合ってるのとちゃう。
 俺が勝手にお前が好きで付き合ってんねんから、
 別にお前がどう変わろうと、
 俺は、なんも変わらんよ。ともだちやろ?」
何気なく吐いた彼の言葉を、
僕は一生忘れない。

いつでも死ねるから、
とりあえず 生きてる時ぐらい、
精一杯 生きようっと

僕の理想的な人生。
「自分のやりたいことをやって、
 尚、ひとの道理(みち)に はずれていない」
こんな生き方ができたら、
  どんなにか倖せだろう。

コンピュータの業界に入って10数年目ですが、一度もこの道に進んだことを
後悔したことはありません。だって、一生懸命やってるから。楽しいよ、毎日。
だって、何千とある職種からコンピュータを選んだのも僕だし、何万とある
会社からわざわざ、選ばなくてもいいのにこの会社を選んだのものも僕なんだ
もの。

僕はずっと前から気付いている。欠点も含めて自分なんだね。
欠点あっての長所だよん(*^o^*)欠点に気付けば直せるよん(*^o^*)
「人を欠点から理解して付き合えば、人を嫌いにならなくてすむ」
自分自身にもいえること。汚い自分を認める勇気があれば、大丈夫だ
よん(*^o^*)「今まで何をしてきたか、より、今日、そして明日から
何が出来るか」の方が重要なんだと僕は思うよ。

「自分はいつも無理をしています
 他人にはいつも今のひとつ上の
 自分をみせています
 騙している訳ではないのです
 ひとつ上の自分には 近いうち
 きっと追いつく自分を信じているから
 そしたらまたひとつ上を見せよう
 無理は、つまり「気負い」です」

僕はシアワセを「幸」とは書かない。
Happyは、
やっぱり、ヒトあっての事だから
シアワセは、
やっぱり「倖せ」のほうが好き。

人は、誰でも自分を信頼したがるから、自分の価値観で、他を斬る
ことが多い。でもね、こういったチャットみたいな、匿名性の高い場所
では特に、自分の価値観を人に押しつけちゃぁいけないと、僕は思います。
タイプが早いとか、鞭撻だとか、それは立派な個性だけれど、それを
振りかざした時点で、その人の言葉は腐ってゆくもんだと思います。

僕は人を切り捨てない。その人を理解するように努め、その人が、
「理解できる」言葉を捜すの。自分の言い方が難しすぎるな、と思ったら、
それが理由で伝わらないな、と思ったら、まず自分がその人に解る表現が
できる人に成るための努力をする。ボキャブラリと、会話のテクニックを
磨くことだね。

「お前の言ってる事は間違ってる」と言ったって、仲々他人の心は動かせ
ない。でも、「ぼくは間違ってるのかなぁ」と思わせるような文章なり、
言葉を持ってる人は、そっちの方がより良い方向に人々を導く事が出来る。
これは、テクニックとセンスが必要だね。周りの人が馬鹿ばっかだから
言ってもわかんないや、と思ってる人には一生できない行動。

如何に相手を思いやれるか、
その中で自分の喜びを見つけられるか
資本主義も社会主義も関係ないない
モラルなんて、もっと個人的なもんなのよ、僕の場合。

僕の「モラルに基づいて正しく生きる」の定義
 自分がやりたいことをやって、
 相手も気持ちいい。
 自分が楽しくて
 あなたも楽しい

「辛」にフタがかぶさると、「幸」です。
「つらいなら隠して置けばいい」ってことでしょうか?
「幸」って漢字は、上の「土」と下の「土」のが人を表し、お互いの足が交
わっている事を模してあるとききました。「幸」は「四足合せ」とも言うの
だそうです。「愛」に深い関わりがあるのでしょう。
また、「幸」は「倖」とも書きます。主に僕はこっちの倖せを使う
のですが、辛いことに蓋をするのは、きっと傍らに居る人がそっとのせてく
れるのでしょう。

バイト先のおっさんが、出し抜けにこう言った。
「天国っちゅうとこは、【二人の国】って書くんだから、嫁さんと二人で
 しか、いけないんだよ!」
僕は、「え?心中しなきゃいけないの」という突っ込みを入れることも忘れる
程、感心してしまった。

ま、「幸」は「しあわせ」以外の何者でもないんじゃないかな?

きっかけは些細なことから始まるのかもしれないね。
「何かを始めるより、継続する方が 難しいけど 面白い」
そうだね、みんな頑張ってる。

みんな自分が大事なんやで、自分がかわいいんや。人になんぼ「それは自分に
嘘をついてる。もっと正直に生きろ」っていわれてもな、そんなこと分かって
るけど、でけへん人はどないしたらええねん。

必要最小限度与えられてな、自分で後はできる人はええよ。でもな、自分に
自信のない時かって、あるやん。そんな時にな、こんだけだけ渡したるから
後は自分でせぇ、なんて、僕はようしゃんわ。

なんでも自分でできる人はな、人にもしゃんとせぇゆうけどな、
そんなんゆうたかて、でけへんときかてあるんや。間違う時かてあるんや。
そんなときはな、「許さな」あかんねん。
「ここまでは許すけど、ここからは許さへん」はな、最初から許してないの
と変わらへんねん。「許す」と一回決めたらな、「許す」なんてな、
制限を持ったらあかんねん。

心の10分の1喋れたらええ方でな、その10分の1文章にできたらええ方
なんや。せやし、ここに発言してる内容でな、その人を全部わかった気に
なんのはやめてな。

顔文字ねぇ。是非の意見が分かれる所だと思うんだ。
だってね、とっても悲しくても、(^o^)って顔文字で笑っている事に
なるし、面白くなくても、キャハハ!(^O^)って顔文字で受けている事に
なるでしょ。でも、僕顔文字基本的に好きだな。
ネットって表情が表に出ない分、心の表情を顔文字で表せたらいいな。
言葉で伝えきれない行間を、顔文字が埋めてくれると、なんか、少し
顔文字が言葉の一部になってくれそうな気がする。

「思想を押しつける詩人には嘘を感じる。思想を押しつける詩人ではなく、
 思想を感じさせる詩人に惹かれる」

思想は、絶対人に押しつけちゃダメ。僕はこう考えるけど君はどう?
っていうのがいいの。で、その人の言葉を真剣に受け止めて、僕の
メモリにある「哲学」をバージョンアップする。自分の考え方が、ROM
(リードオンリーメモリー)の人になってはいけないと僕は思ってるからね。

議論は大切だと僕も思うよ。ただね、相手が自分で考えれる余裕を残せる
話し合いに持っていけるかって事が重要かな?僕は自分が他の人に対して
優れているとは思わないし、「馬鹿はすくいようがないから無視しよう」
とも思わない。だから、議論は好きだよ。やりこめる方法じゃない議論がね。

自分を大切にするように相手を大切にする。相手を理解できない時は、自分の
許容量がその範囲を超えているから。それは、自分の許容量の狭さな訳。

哀しさや侘びしさの打開策を人に求めず、自分でこの状況を変えるのだと
いう意志があれば、それが不成功に終わって、なお一層の哀しみや侘びし
さに苛まれても納得できるものです。敵は他人ではなく自分であり、その
戦いも見物客にとっては、さして重要なものではないのです。今の状況を
楽しむための方法は100通りもあります。それを、あとは自分で探すか
どうかだけでしょう。まず一通り試してみて、ダメだったら次をまた考える。
自分に対しては、いくらしつこくても構わないのですからね。
頭をひねって考えてみよう。

>世界は美的には構成されておらず、したがって自らの美を守るためには、
>間断なく世界を否定しつづけるか、さもなければ、自らの内部に引きこ
>もってあらゆるものから目を閉ざしていなければならない。
もっと簡単な方法は、世間が美的でないことを十分理解した上で、自らの
内部の美を堪能する方法もあるね。内部に引きこもって構わなくてさ、
でも目を閉じる必要はないとおもいますよん(*^o^*)淡々と受け止めて、
自分にとって必要なものを拾えばいいだけかな?自らの美は自分の物だ
し、別に世間が汚いからといって、否定する必要はないなぁ、と思います。
別に蛮勇を奮って世界と戦わんでもいいんじゃないかな?

>ドンキホーテか、隠者の二者択一。
>滑稽であるか、傲慢であるかの二者択一。
その時々に応じて人はこれらを使い分けているのでしょうね。
だから、ドンキホーテばっかの人はすげーなぁと思います。
色んなシチュエーションがあるからね、人はドンキホーテにも隠者にも
なれる、ってこと。選択肢があってよかったと思いますよ。

>自分の内部を紛れもないものにすること、曖昧なものをすべて排除しよう
>とすること、それは大抵、徒労に終わる
(..)(゜゜)(..)(゜゜)ウンウン到底無理だわ(笑)だって、心なんて
コロコロ変わるモン(*^o^*)

>あるときは自己を肥大化させ、他者を見下し、
>またあるときは極端な自己卑下をして、他者からの憐憫を得よう
>としたりする。
これね、「あるときは」なんだよね。人間誰しも、こういう「時」
があるんだ(*^o^*)僕はね、「どんどん増長しなさい(笑)」
なの。こういう時は。自分でね、「こりゃまずい」って思わないとさ、
絶対変わらない。人間は思考と行動を共有できる数少ない生物だから
さ、自分で考えて、行動(成長)することが基本なんだろね(*^o^*)

結局ね、自分で殆どの事は決めなきゃなんない。
だけどね、辛いときはあるんだ。僕はね、そんなとき、
「悩んでるぞー!うぉりゃぁぁぁ!!とりゃぁぁ!!
 そりゃぁぁ!どりゃぁぁ!!!!うぉぉぉぉぉ!!!!」
って、思いっきり悩んでさ、で、決めるまでホント弱気になって、
出口なんかなんも見えないや(/_;)vって、自暴自棄になってさ、
もう足なんか、地面に生えたみたいに一歩も動けなくなる。
でも、だれかにポンって肩たたかれたら、嘘みたいに軽く歩ける
ことってあるんだよね。答えはね、やっぱ自分で見つけるしか
ないんだ。でもさ、僕やっぱ頼っちゃうんだよな。

自分が悩んでいることなんて、きっと他の人にしてみたら、迷惑
ふりまいてるだけなんだ。でもね、僕はね、迷惑かけて
もね、もがくもがく。きっとね、明日この恩はかえします。今日
できないからね、明日必ず返しますってね、だから、今日はごめん
なさい、って。今はダメだけど、近い内ちゃんと決めるから、って。
そうやってね、生きています。だって、自分だけで考えてると、
どんどん怖い考えになっちゃうんだもん(;_;)

悩むことはホントに大切なことだと思う。
だけど、ひきずるのは間違いなんだ。

出口が見えたら、突っ走る。思いっきり走っているから、また
きっと転ぶんだろな(笑)で、「痛いぃ!!」って思いっきり泣いて、
また走る。

悪いことするフリをする善人と、良いことをするフリをする悪人だったら
良いことをするフリをする悪人の方がタチが悪い(笑)
なんにせよ、善人なんて、自分でなろう!と思っても仲々なれるもんじゃ
ないですね(笑)

別に僕は良い人だと認識してはいないけれど、良い人には
なりたいなぁ。
「良い人になりたければ 良いことをすれば良い
 良いことをするフリをしても それはタダの、
 良いことをするフリをする人 以外の何者でもない」
僕はもっと単純で、みんなの笑っている顔を見るのが
「僕が」倖せだから、わらかしたいだけ(笑)
結構ね、僕と拘わった人で傷付く人が多いのが、とても
辛いんだ。主観のみで生きてる僕(笑)だから、気配りの
行き届かない部分があってね、まだまだ「良い人」にはなれそう
もないです(^^;ゞ

この「書く」という作業は楽しいね。記憶はすごく曖昧で、自分の都合の
いいことばかり覚えていたり、反対に都合の悪いことがクローズアップされて
いつまでも記憶に残っていたりするけれど、ストップモーションを「言葉」
で切り出す作業に切り替えてから、「今」を語るときに冷静に過去を振り
返ることができるようになった。僕が「断章」という形で言葉の
落ち穂拾いをしているのも、取りこぼしそうな言葉達が愛おしくて、勿体
ないので集めている作業なのだ。形にすることが大切だとは思わないけれ
ど、いつまでも残しておきたいものを「記憶」とは別に機能的に保管する
場所を確保できたことで、僕の人生はより充実していると思う。

僕の言葉(断章)に、つじつまが合わないことがあっても、
それはそれでいいのです。すべて自分の心であり、
回答はまだいくつも用意されているのですから。

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