−月の谷の銀の鈴−

 Moon−Valleyは、厳しい統治国家でした。激しい人口の増加と混沌にたまりかねた政府は、その住居を職種によって幾つもの'Layer'と呼ばれる階層に分け、人々はその居住空間でのみ生活を許されるのでした。

 アニムスは、Layer3で硝子(ガラス)細工を作る職人です。アニムスが18才の時、'st.cristal−moon night'のカーニバルでアニマという、Layer2に住んでいる女の子に声をかけられました。青い月の夜にお互いの鈴を交換したアニムスとアニマは、カラパラの樹の下で語り合い、来年もきっとここで出逢うことを約束しました。

 普段は遥か高く閉ざされたLayerの鉛の隔壁も、年に一度だけ、クリスタルムーンの夜はその扉を開き、アニムスは、愛しのアニマに逢えるのでした。カラパラの樹の下で、アニムスは彼女の為に硝子の鈴を、アニマは彼の為に作った銀の鈴をお互いに手渡します。

 クリスタルムーンの夜、恋人たちの鈴の音色で'Moon−Valley'は満ち溢れますが、アニムスの硝子の鈴と、アニマの銀の鈴は他の誰よりも美しい音色を奏で、二人は夢のような一夜を過ごすのでした。

 水晶の青い月が南の空に沈む頃にカーニバルは終わりを迎えます。アニムスとアニマはお互いの鈴を大切に持ち帰り、次のクリスタルムーンの夜まで、その音色とともに過ごすのでした。

 …それは、アニムスが五つ目の硝子の鈴を作り終えた、水晶月(クリスタルムーン)の輝く青い夜のことでした。カーニバルの雑踏の中にアニムスはアニマの姿を捜しますが、どこにも彼女の姿は見えません。アニマのいつも居たカラパラの樹の下には、moon stone で、アニムスに宛てたメッセージがありました。

          ごめんなさい。
          もう、銀の鈴を作ることができません。
          硝子の鈴の音色はとても優しくて、
          とても私は好きでした。
          あなたが嫌いになった訳ではないのです。
          ごめんなさい。
          私は、金の鈴の音色に魅せられてしまったのです。
          もうここには来ません。
                       さよなら

 …アニムスはアニマの突然の心変わりが信じられず、ただその場に茫然と立ち尽くすのでした。

 Layer3に戻ったアニムスは、アニマの銀の鈴を壊すことも、捨てる事もできずに、それからの三年間は硝子の鈴を作ろうともせず、クリスタルムーンの夜もアニマの鈴の音色を聴きながらひっそりと過ごしました。

…あれから四回目の水晶の月が、'Moon−Valley'に、その青い影を落とす季節になりました。アニムスは、まだ硝子の鈴を送る相手を見つけられずにいますが、このあいだの 'purple rainy day'に銀の鈴をアニマの思い出とともに箱にしまいこみました。

 今年もまた 'st.cristal−moon night'がやってきます…

 アニムスは迷っています。硝子の鈴は作るべきでしょうか。それは誰の為に?…銀の鈴はアニマに返すべきでしょうか。それとも壊してしまうべきでしょうか。それとも…

−月の谷の硝子(ガラス)の鈴−

 Layer2は、'Culture Space'(非生産性住居区域)でした。街には芸術家のみが住む事を許されています。アニマの父も高名な彫刻家でした。

 アニマは17才の時に初めてクリスタルムーンのカーニバルに出かけ、信じられないくらい透き通った音色の硝子の鈴を持った、アニムスという青年に一目惚れしました。'st.cristal−moon night'のカーニバルでは、女性の方から声をかけなければなりません。青い光の中、彼女は勇気を出して彼に声をかけました。

振り返った彼は、
「僕の音に気づいていただけたのですね。ありがとう」 と、嬉しそうに微笑みました。

 それから、南の空に水晶の青い月がすっかり沈むまで、二人はカラパラの樹の下でお互いの色々なことを語り、来年もきっとここで出逢うことを固く約束して別れたのでした。

 アニマは次のクリスタルムーンの夜からアニムスの為に銀の鈴を作ります。彫刻家の娘である彼女は、とても美しい音色の銀の鈴をつくることができました。

 クリスタルムーンの夜、恋人たちの鈴の音色で'Moon−Valley'は満ち溢れますが、アニムスの硝子の鈴と、アニマの銀の鈴は他の誰よりも美しい音色を奏で、二人は夢のような一夜を過ごすのでした。

 アニマは青い月がMoon−Valleyを照らしてくれることを毎日のように祈りますが、クリスタルムーンの夜は年に1度。三年、四年と経つ内に、アニマはその夜が待ちきれなく、鉛の壁の向こうの、Layer3のアニムスに逢えない寂しさに、泣き暮らすことが多くなりました。

 アニマの家には、父親のガイアの弟子で、カオスという若者が居ました。カオスはアニマのことがとても好きだったのですが、彼が作る金の鈴は、彼女の持っている硝子の鈴の美しい音色をどうしても超えることができません。彼はその事にとても苦しみましたが、毎日泣き暮らすアニマが愛おしくせめてもの慰みにと毎日金の鈴を作っては、彼女の元へ届けるのでした。

 アニマはとてもアニムスのことが好きだったのです。けれども逢えない淋しさに、彼女はとうとう金の鈴の音色に身を委ねてしまいました。
 自分の心変わりを知ったアニマは自分自身が許せなくてとても苦しみ、アニムスの硝子の鈴を抱きしめて、目の前にいないアニムスに血を吐く程泣いて謝り続けましたが、心はどうしようもなかったのです。

 彼女はアニムスと初めて出逢ったときから、ちょうど五年目の青い月の夜に、自分の涙でできた moon stone を持って、カラパラの樹の下へと向かうのでした。

…時間(とき)は何故いつもそこに流れているのでしょう。
どうして一度もそこに立ち止まってはくれないのでしょうか…。

あれから三年の月日が流れました。アニマはカオスの変わらぬ愛の中で暮らしていますが、アニムスの硝子の鈴をしまい込むことも送り返すこともできずにいます。'purple rainy day'にはそっと硝子の鈴を鳴らして、アニムスとの想い出に涙を一粒零すのでした。

今年もまた 'st.cristal−moon night'がやってきます…

 

−カオスからアニマへの手紙−

 アニマがアニムスの元を離れてから、三年目の'purple rainy day'の夜、アニマはまだアニムスの硝子の鈴を捨てれずにいます。そっと箱からとりだして、ひとつ振って、ひとつ涙を流す。アニマはカオスの愛の中で生きていましたが、アニムスの事を忘れることもできなかったのです。同時に2人の人を愛してしまった事で、どちらかひとりを、何らかの理由をつけて選ばねばならなかった自分の行動が、カオスに全ての愛を注げないでいる自分の弱さが、アニムスを傷つけたという後ろめたさが、アニマの心を茨の棘のように何度も刺していました。

私の行動は正しかったと言い切れるほど、アニマは強くはなかったのです。硝子の鈴に鉛の壁を透かせて、今まで言ってはいけないと自分にいいきかせていた言葉が、つい、唇から洩れたのです…

 カオスは変わりない愛をアニマに与え続けていました。アニマが三年前にカオスの愛を受け入れると告白してから、それでもカオスは硝子の鈴の音色を超える金の鈴を作ろうと、毎日アニマの元へ鈴を届けるのでした。カオスが金の鈴をアニマの部屋に届けると、アニマはひとふり鈴を鳴らせてから、いつも微笑んで、「変わらない愛をありがとう」と言うのです。

 カオスは三年前のあの時から、アニマの本当の笑顔を見たことがありませんでした。カオスはアニマの屈託のない満面の笑顔がとても大好きでしたが、アニマに金の鈴を届けるときの彼女の笑顔は、どこかすまなそうで、どこか淋しげでした。アニマの笑顔を曇らせているのが硝子の鈴の持ち主のせいであると思えれば、カオスもどんなにか救われたでしょう。

 カオスは自分の金の鈴の音色がアニマの持っている硝子の鈴の音色を超えられない事をとても悩んでいました。アニマの笑顔を曇らせているのが、自分の愛の浅さだと、金の鈴の音色のせいだと責めていたのです。

 あの'st.crystal−moon night'から数えて三年目の'purple rainy day'の夜、カオスはいつもよりずっと長い時間をかけて出来上がった金の鈴を、試しに鳴らせてみました。いつもと違うその透き通った音色に、カオスは暫く、言葉を失っていました。カオスがアニマに届けたかった心の全てがその金の鈴の音色にありました。初めてカオスは自分の鈴が、彼女の持っている硝子の鈴の音色を超えたと思えたのです。

この鈴を早く彼女に届けたい。カオスは、前の晩にアニマが「明日は一人で過ごしたいの」といった言葉もすっかり忘れて、工房を飛び出して彼女の部屋に向かうのでした。息をきらせて彼女の部屋の前まで走ってきた彼は、アニマを驚かせてやろうと、窓の外からそっと顔を覗かせたのです。

「あの壁さえなければ…」 

*     *     *

Moon−Valley3月革命に関する報告書(1/2)

旧歴25.3 旧政府が樹立した階級住居制度に反発したLayer2(非生産性住居区域)の住人
        がクーデターを蜂起。Layer2は内乱シミュレーション対象外地域であったことから、
        旧政府の対クーデター対策に遅れ。

旧暦25.3 Layer1(MAIN−CONTROL)は、Layer5(工業区域)へ派遣していた政府軍を急
        遽Layer2に送致、内乱鎮圧を指示。

旧暦25.4 政府軍の撤退したLayer5の住人がクーデターに荷担。装甲戦力を持つLayer5と
        政府軍の戦いは、熾烈を極める。

旧暦25.5 Layer4(農耕地域)がクーデターに荷担。これによりLayer1への食料供給は完全
        に絶たれる。

旧暦25.5 Layer3の住人がクーデターを支持。これによりLayer1(中央政府)は孤立する。

旧暦25.6 政府はクーデター側との和解協議を提案。

旧暦25.7 和解協議の結果、政府は無条件降伏と階級住居制度の廃止を決定。旧政府の解
        体を宣言。これにより3ヶ月続いた月の谷革命は住民側の圧倒的勝利により終焉を
        迎える。

*     *     *

 この革命前夜、カオスより一通の手紙が金の鈴とともにアニマの元へ届けられました。'purple rainy day'以来、カオスは行方不明になり、アニマはカオスに一度も逢えなかったのです。手紙にはこう書いてありました。

「求め続けるのが恋であり
与え続けるのが愛であるなら
僕は愛を選ぼう
報われるから愛するのではない
あなたの笑顔が大好きです
あなたを愛するカオス」

*     *     *

Moon−Valley3月革命に関する報告書(2/2)

新暦元年.8  鉛の壁撤去作業開始。壁の全面撤去同日を持って、階級住居制度の廃止
        と新政府への政権交代を旧政府は宣言。

新暦元年.8  新政府準備機関誕生。革命時の戦闘地域の修復を最優先で行う。

新暦元年.10 最後に残ったLayer1の戦闘地域の都市修復完了。これにより社会
        機能は完全に復活。新政府首相選出。

新暦元年.11 鉛の壁除去作業はムーンパーク前を除き完了。パレードにて最後の壁を
        取り除くイベントを決定。新政府誕生のパレードを兼ねて、
'st.cristal
            −moon night'
開催を各地域に通知。

新暦元年.12 'st.cristal−moon night'開催

(補足)

新暦元年.12 革命勝利のパレードにて、新政府首相(クーデター首謀者「カオス」)
        旧政府側残党、極右構成員の凶弾に倒れる。享年28歳。
 

  新政府樹立から三年の月日が流れた。アニムスは再びアニマと出逢う… 

 

再会−Close Your Eyes−

「会いたい」電話の向こうで彼女は弾んだ声で言った。
「何年ぶりだと思う?」
「うーん」僕は頭の中で指を折っている。
「七年と四ヶ月。最後に会ってから」と彼女。
 彼女は勘違いをしている。カーニバルの夜に一度擦れ違っている。君は誰かと座っていて、僕は君の前を横切った。僕を見た癖に。表情も変えてなかった。

「二年と四ヶ月の間違いだよ」
 僕は少し意地悪になっている。あの時、君が無視した。痛手に持つほど根気強くないが、ちょっとサディスティックな気分。

「七年ぶり。いい男。会いに来て頂戴」
「急だね」
「今知ったの。電話番号。急に会いたい」
「忙しい」
「三十分」
「分かった。どこにいる?」
「ここ」
「それじゃわからない」
「ここ。いつもの処」
 相変わらず意地を張る彼女。ふと愛しさが帰ってくる。

僕たちは愛し合っていたことがある。時を共有していた。別れた理由は抜き差しならない。どんな事だったかまで憶えていられない程ショックだった。

「十五分待ってくれ」
'いつもの処'までのコースを選びながら言った。
「十三分で来て」
少しも変わらない調子で彼女は我が儘を言った。

*   *   *

  休日の公園は家族連れやカップルが多かったが、雑踏の中でもすぐに君の姿は見つかった。長い髪を後ろに束ねている。中間色のツーピース。化粧無しでいられる強みを生まれつき持っている。背筋をきちんと伸ばして、樹の下に立っていた。

「やあ」
「一分遅刻」彼女は笑った。
「変わらないね」
「変わったわ」
「そうかもしれない。君はいつも樹の下に腰掛けて待ってた」
「大人になったわ」そういって彼女は樹の下に腰掛けた。僕も隣に座った。

 彼女は僕の眼を見なかった。僕は彼女の眼を見た。僕を見ていなかった。
「二年前、カーニバルの夜」
 自分で嫌な奴だと思いながらそう言った。今まで、根に持ったことなどただの一度もないのに。
「会ったの?」
「目が合った」
「見えなかったの。ごめんなさい」

息が詰まりそうになった。勝ち気な彼女が僕に「ごめんなさい」と初めて言った。そのことじゃない。やはり僕を見ていない。そのことでもない。
彼女のもたれかけている樹の裏から、ゆっくり歩いてきて彼女の足下にうずくまった、ラブラドール・レトリバーだった。

「いつから見えない」
「三年と八ヶ月。色々な病気があるわ」
 そう応えて、今まで見たこともない、素敵な笑顔になった。そうして、足下の犬の頭をそっと撫でた。

「カオスjr.っていうの」

*   *   *

「そのかわり」と彼女はふと笑った。
「人には見えないものが見えるようになったわ」
 遠くを見るように僕を見つめた。

「目を閉じていれば、嫌なものを見なくてすむし、今見たものだって、美しいもの【だった】気がするでしょ。だから、前に見たものはみぃんなきれい。あなたもよ」
 彼女は次第に声だけ涙になった。

「あの頃より、よっぽどちゃんと見えるわ」
 そうしていつもの笑顔に戻った。

「あなたのことも」

僕はまだ彼女を愛していた。立ち上がって彼女の側へゆき、いきなり抱きしめる。

「こら、恥ずかしい」
 彼女が小声でそう言った。

「やかましい」
「みんな見てるわ」
「大丈夫。君には分からないだろうが」
と僕は言った。

「みんな目を閉じてる」

カオスjr.の首に輝くちいさな鈴が、ちりん、と鳴った。

あとがき

この4つのお話は、1995年11月から、翌1996年3月にかけて、Niftyserveの某PATIOに掲載したものについて、一部改変したものを転載してあります。お気づきになられた方がおられるかと思いますが、このお話のBGMには、さだまさしさんの歌があうそうで(笑)

 月の谷の銀の鈴/月の谷の硝子の鈴

「聖野菜祭」「検察側の証人」という曲のイメージをもとに、オリジナルで書き下ろしました。愛にはさまざまな形があって、どれがほんとうなんて、誰にもわからない。今あなたが責めている相手のほうが、あなたよりもっと深く傷ついているかもしれないから。「許す」というのはとても難しいけれど、せめて「わかって」あげられたら、明日はきっと、今日よりも優しくなれるのだろうね。

 カオスからアニマへの手紙

「恋愛症候群」という歌の、「おそらく もとめつづけてゆくものが恋 うばうのが恋 与え続けてゆくものが愛 かわらぬ愛 だからありったけの愛をあなたになげつづけられたら それだけでいい」というフレーズをもとに、オリジナルで書き下ろしました。カオスのとった行動も、ひとつの「愛」の形です。カオスのことを、「ばかだなぁ」と笑いながら、どこかで指を噛んでいる自分がいます。

 再会〜Close Your Eyes〜

(C)新潮社 自分症候群「Close Your Eyes」です。最初の物語から3ヶ月、どうしてもこの話しをハッピーエンドにつなげたくて。オリジナルをそのまま転載しようと思ったのですが、設定・時系列に微妙な誤差が生じて、すこし書き直してあります。新潮社さん、さだまさしさんごめんなさい。

素人の稚拙な文章です。最後まで読んでいただけて、本当に申し訳なく、有り難く思います。これからも、よろしくお願いします。m(_)m

   1999.9 えいてん presents